大判例

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旭川地方裁判所 昭和35年(わ)401号 判決

主文

一、被告人を罰金五、〇〇〇円に処する。

二、右罰金を完納しないときは金二五〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

三、被告人に対する公訴事実のうち、「被告人が、昭和三五年五月一六日午後五時一五分ごろ、旭川市東八条三丁目先道路上において、後方の安全を確認することなく自動三輪車を後退させた業務上の過失により、中川忠則に傷害を負わせた際、事故の内容をただちに警察官に報告すべき義務を怠り、かつ警察官の指示をうけないで現場を立ち去つた。」との点につき、被告人を免訴する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、旭川急行トラツク株式会社に雇われ、自動三輪車運転の業務に従事していたものであるところ、昭和三五年五月一六日午後五時一五分ごろ、右会社の自動三輪車(旭六あ〇四六三号)を運転して旭川市東八条三丁目中西茂方前道路上にいたり、同所において積荷をおろしたのち、方向転換をするため車を後退させようとしたのであるが、自動車運転者としては、このような場合、後方の安全を確認して後退しなければならない業務上の注意義務があるのにかかわらず、被告人はこれを怠つてなんら安全確認の措置をとらないまま、漫然車を後退させた業務上の過失により左後方でしやがんで荷物を整理していた中川忠則(当時十七年)の右足首を、左後車輪でひき、よつて、同人に対し加療約一ヶ月を要する右足関節捻挫の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目) ≪省略≫

(法令の適用)

法律によると、判示所為は刑法第二一一条前段、罰金等臨時措置法第二条、第三条に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、諸般の事情、ことに本件がかなり重大な過失による事件ではあるが、被告人が、本件と併合審理された主文第三項掲記の事実の審理のために、かなり多数回当公判廷に出頭し、事実上相当な苦痛を受けていることを考慮して、被告人を罰金五、〇〇〇円に処し、刑法第一八条を適用して右罰金を完納しないときは金二五〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとする。なお、訴訟費用中被告人の負担に帰すべき分については、被告人が貧困でこれを納付することができないことが明らかであるので、刑事訴訟法第一八一条第一項但書に従つてこれを負担させないこととする。

(主文第三項掲記の公訴事実について免訴の言渡をした理由)

本件記録によると、主文第三項掲記の事実(以下単に本件事実という)および判示業務上過失傷害の事実は、被告人が少年時代に犯したものであるが、旭川家庭裁判所裁判官山本一郎は、昭和三五年九月二七日に、業務上過失傷害の事実については、旭川地方検察庁の検察官に送致する旨の決定をし、本件事実については、「送致事実は、一件記録により明らかであるが、自己に不利益な供述を強要することを禁止する憲法第三八条第一項は、行政手続にも適用があると解すべきところ、道路交通取締法施行令第六七条第二項は、車馬等の操縦者に対し、事故発生の場合に事故内容、すなわち人の殺傷等を生じた事情を警察官に報告する義務を負わせており、かような事情は、操縦者を業務上過失致死傷罪その他の犯罪につき有罪とするような事実にほかならないから、右条項中右報告義務に関する部分は、前記憲法の規定に違反し、無効であると判断する。したがつて、本件送致事実中警察官に対する報告義務を怠つたとの点は、罪とならず、その余の点は、事案軽微であるから、本件を審判に付するのは相当でないと認め、少年法第一九条第一項により、主文のとおり決定する。」との理由によつて、審判を開始しない旨の決定をしている事実が認められる。そして、旭川地方検察庁検察官福田繁司は、被告人が成人に達した後の昭和三五年一〇月一八日に、右業務上過失傷害の事実と本件事実との両者につき当裁判所に公訴を提出しているのである。

このように、本件事実については、検察官に送致する決定がなされていないばかりでなく、その主要な部分については罪とならず残余の部分については事案軽微で審判に付するのが相当ではないとの理由によつて審判不開始決定がなされているのであるが、いつたん家庭裁判所において、右のような理由によつて審判不開始決定がなされた事件について、犯人が成人に達してからのち、その事実について更に刑事訴追ができるかどうかにつき争いがあるので、以下にこの点について判断することとする。

少年法は、その第四六条本文において、「罪を犯した少年に対して第二四条第一項の保護処分がなされたときは、審判を経た事件について、刑事訴追をし、又は家庭裁判所の審判に付することはできない。」と規定し、犯罪少年に対してなされた保護処分についていわゆる一事不再理の効力を認める旨の明文を設けているのであるが、本件のような審判不開始決定の効力については明文の規定がなく解釈に委ねられているものと考えられる。

ところで、一事不再理の効力であるが、これは、公権的な法律判断機関としての裁判所の判断内容の法的安定性の要請を基礎として認められるものであるから、ひとり実体判決についてのみではなく、ひろく司法機関としての裁判所が、事件の実体について審理し、確定的な法律判断を示す裁判をした場合において、それが通常の手続ではもはや争うことができなくなつたときに、法律上当然に生ずるものと解すべきである。そこでまず、審判不開始決定が事件の実体についてした裁判といえるかという点から考えることにする。この決定は、調査の結果、審判に付することができない場合、または審判に付するのが相当でない場合、すなわち、審判条件あるいは非行事実の存在が認められない場合、または審判条件および非行事実の存在は認められるが、要保護性、福祉的措置相当性および刑事処分相当性のいずれも認められない場合に、審判手続を開始することもなしに事件を終結させる裁判である。したがつて、審判不開始決定は、ただ単に審判手続を開始しないという手続的、形式的意味をもつに過ぎないものではなく、審判条件の不存在の場合を除き、非行事実、要保護性、福祉的措置相当性および刑事処分相当性の存否という実体的、内容的な判断を含んでいるものということができるのである。いまこれを本件についてみると、非行事実ないし要保護性の不存在を理由として審判不開始決定がなされているのであるから、この決定は、とりもなおさず刑事処分相当性の不存在、換言すると、刑事訴追は相当でないとの判断をも示した事件の実体についての裁判ということになるのである。しかも、審判不開始決定は、司法機関である家庭裁判所が、その調査という審理方法の結果にもとずいて確定的な意思表示としてするものであることはいうまでもなく、またこの決定に対しては不服の申立が許されていないのであるから審判条件の不存在以外の理由による審判不開始決定は、その決定がなされた事実について、一事不再理の効力をもつものと解するのが相当である。ついでながら、このことは、同様に規定のない不処分決定についても同じことである。そして、この一事不再理の効力は、その少年が少年であるときはもとより、成人になつてからのちもなお認められるのである。このことは、少年時代に認められていた裁判の効力が、成人に達することによつて突如として失なわれるということ自体理解しがたいことであるばかりでなく、少年に対する保護事件について、専門的機関である家庭裁判所に専属的管轄権が認められていることに徴して明らかである。

もつとも、反対説は、少年法第四六条本文の反対解釈により、審判不開始決定には一事不再理の効力はなく、したがつて、審判不開始決定を経た事件についてもなお刑事訴追をすることができるものとしているようであり、検察官もこのような見地に立つているものと認められる。たしかに同条及び同条をうけたと思われる少年審判規則第三六条に同規則第二条を対比して形式的に解釈すると、そのようにも考えられないことはない。しかしながら、一事不再理の効力は、さきにも述べたように、司法機関としての裁判所が事件の実体について審理のうえ終局的な裁判をした場合において、それがもはや争うことができない状態になつたときに当然に生ずるものであつて規定の明文がなければ生じないというようなものではないのである。このことは、たとえば刑事訴訟法をみてもわかるように、どのような裁判に一事不再理の効力を認めるかということについては、なんの規定もないのである。したがつて、同条を根拠にして、ただちに審判不開始決定に一事不再理の効力がないと断定することはできないのである。ただ、もし右のように一事不再理の効力が規定の明文をまつまでもなくすべての実体審理に基く終局裁判につき当然に生ずるものであるならば、わざわざ少年法が特にその第四六条本文において右のような規定を設けた趣旨を理解し難いこととなるので、犯罪少年に対する保護処分以外の終局処分には一事不再理の効力を認めない趣旨ではないかとも考えられないことはない。しかしながら、もしそのような一事不再理の効力を認めないとするのであれば、それ相当の理由がなければならないように考えられるので、同条の設けられた趣旨ないし理由として従来公にされているものをみておくことにする。それは次の三つに要約しうると考えられる。その一は、憲法第三九条後段の規定の趣旨を尊重して設けられたとするもので、そのいうところは保護処分は刑罰ではないから右憲法の規定の適用は受けないが、保護処分がその自由を制約する点においては刑罰に相通ずるものがあるので、その趣旨を尊重したものにほかならないとするのである。その二は、少年に対する教育的配慮によるとするもので、そのいうところは、本人自身がほんとうに努力して更生したということになれば、本人としてはそれでいままでの罪が消え、あるいは再びそのことを問題にされることがなくなるという安心感をおぼえることになり、それが教育上効果をもつとするのである。その三は、捜査機関に対する政策的配慮にもとずくとするもので、そのいうところは、強制力のある保護処分に既判力を認めておかないと、捜査機関から処分が軽いということを理由にして事件を再送致されるおそれがあるとするのである。しかしながら、これらの理由によつては、同じ保護処分のうち触法少年やぐ犯少年に対するそれについて一事不再理の効力を認めない理由が明らかではなく、かえつて以上の理由を根拠とするときは、右ぐ犯少年や触法少年に対する保護処分はもとより非行事実ないし要保護性の不存在による不処分決定、審判不開始決定などについても一事不再理の効力を認めるのが当然であつて、これらの決定につきその効力を別異にすることは不合理であるといわなければならない。

同条は少年保護事件の運用上、特に憲法第三九条との関係において問題になると予想された犯罪少年に対する保護処分決定について一事不再理の効力がある旨を注意的に規定したもので、それによつて一事不再理の効力を認めたものでもなく、また犯罪少年に対する保護処分決定以外の決定に一事不再理の効力を認めない趣旨を明らかにしたものでもないのである。そして、但書の追加された現在においては、本文よりもむしろその但書に意味をもたせたものと理解すべきである。

以上のとおりであつて、本件審判不開始決定は、一事不再理の効力をもつものといわなければならない。

なお、問題を刑事訴追の可否にのみ限つて考えてみると、少年法第二〇条によつて、検察官は家庭裁判所から刑事処分相当として逆送された事実についてのみしか公訴提起をなしえないのであるから審判不開始決定のなされた事実については、少くともその少年が成人に達するまでの間は刑事訴追をなしえないことは明らかである。このことは、検察官による公訴権の行使が、家庭裁判所の判断に拘束されていることを意味していることに外ならない。しかるに反対説によると、そのような判断の拘束力は、少年時代においてのみ存在するもので、成人に達すると同時に失われる結果、刑事訴追をなしうるに至るという結論になるのであろうが、少年時代に妥当していた裁判の効力が、成人に達することによりただちになくなると解することの不当であることはすでに右にみたとおりであるばかりか、生成発展しない、過去において生起した犯罪事実の存否を確定し、それを理由として刑罰を科そうとする刑事裁判の性質からしても、反対説による結論はとうてい容認できないものと考える。少年に対する家庭裁判所の処遇の決定は、彼が少年であるがゆえにのみなされるのではなく、ある非行が少年時代になされたゆえにもなされていることを銘記すべきである。以上のようなわけであるから、少年法第四六条本文を反対説のように解釈することはできないものと考える。

もつとも、検察官は、行政処分的な性格をもつ審判不開始決定に司法裁判と同様の効力を認めるのは行き過ぎであると主張している。しかしながら、少年保護事件の性格が、より司法処分的なものであるか、あるいはより行政処分的なものであるかについては、にわかに断定することができないが、少くともそれが司法機関である家庭裁判所において取り扱うこととされ、しかも対象少年を一定の非行ある者に限定し、その非行事実や要保護性の存否の判断などを裁判所にゆだねている現法制のもとにおいては、そこにおいて行なわれる審判不開始ないし不処分の決定を、形式の類似のゆえに検察官の行なう起訴猶予その他の不起訴処分と同視しうべきでないのはもとより、後日さらに検察官においてそれとは別異の判断に基いて刑事訴追をすることができるというようなことは、裁判における法的安定性の要請に反し、ひいて裁判の権威を失墜するに至るおそれがあるばかりでなく、少年に対する教育的観点からみても当をえないものといわなければならない。

また検察官は、審判不開始決定は、実質的審理を経ずに行なわれるものであるから、一事不再理の効力を認めるのは行き過ぎであるとも主張している。しかしながら、さきに説示したように、審判条件不存在の場合を除き、審判不開始決定も実質的な審理を経てなされるのであるから、この点の主張もまた理由がないものと考える。なお、審判をするか否かは、事件を直接に審理するか間接に審理するかの違いがあるだけで、事件の実体について実質的な審理をするか否かとは無関係のことである。

更に検察官は、本件のような誤つた憲法解釈にもとずいて審判不開始決定がなされ、その決定に一事不再理の効力が認められることとなると、現行少年法の下では、その違法を是正する途は永久に閉ざされ、公益の代表者として法の正当な適用を使命とする検察官の職責はこれをつくし得ないとも主張している。しかしながら、本件審判不開始決定に示された憲法解釈の当否はしばらくおくとして、従来、裁判の違法ないしは不当を是正する方法としては、その裁判に対する不服の申立を認めるのが通常であるのに、審判不開始決定については、少年法になんらの不服申立方法をも認めていないのであるが、これは、少年保護事件の特殊性から考えて、そこにおいてなされる判断をあげて家庭裁判所に一任し、ときとして検察官の意に満たない裁判がなされたり、そこにおいて示される法律判断に統一を欠くものがあつても、やむをえないものとしてこれを容認したものと解すべきであるから、このような少年法の趣旨に反して、当該少年が成人に達してからのち公訴を提起するというようなびぼう的な方法によつて不服申立の目的を達しようとする検察官の所論は当をえないものといわなければならない。

なお、検察官は、前記のとおり、家庭裁判所が、判示業務上過失傷害の事実について検察官送致の決定をし、それにしばしば伴なつて発生することのある本件事実について審判不開始決定をしたことは、矛盾であり、少年法の趣旨に反するものであるから、本件事実についての公訴の提起は、実質的にみて違法の点はないとも主張している。しかしながら、少年法は、人格主義をとりながらも同時に事件主義を採用しており、個々の事件ごとに検察官送致の決定がなされないかぎり適法に公訴を提起することができないことは、すでに最高裁判所においても認められているところであり(最判昭和二八年三月二六日刑集七巻六四一頁参照)、ことに本件事実については、検察官送致決定と全く相いれない審判不開始決定がなされているのであるから、この主張も採用できない。

以上の次第であるから、本件事実については確定裁判を経たものとして、刑事訴訟法第三三七条第一号を準用して免訴の言渡をなすべきである。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 長久一三 裁判官 坂本武志 岡次郎)

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